書籍情報[出版裏話]

ATR CALL「完全版 英語リスニング科学的上達法 音韻篇」

■1999年3月1日発売
■講談社 定価 3,360円〈税込)

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ATR CALL「完全版 英語リスニング科学的上達法 音韻篇」

1998年 春 某月某日

3月20日に発行した、ブルーバックス版「英語リスニング科学的上達法」が、予想以上の好評。その結果、またまた講談社科学図書編集部、倉田編集者の姿をATRで見かけるようになる。いやな予感がする。
…そして始まりはいつも突然やってくる。

倉田:

今度は是非、12cmCDを付けた単行本の企画をっ

室長:

是非やりましょう(ニコニコ)

私ら:

アイアイサー(…)

 

1998年中に出るらしい...と、言うか、出さなくてはいけなくなったようだ。

1998年 夏 某月某日

倉田氏からは全く催促が無い。忙しいのか信用して待っているのか分からないが、それをいいことに本業に専念する。その結果、執筆は全く進まないままで夏は過ぎていった。いい夏だった。
 

1998年 秋 10月某日

ついに倉田氏がATRに乗り込んでくる。今回はなんと、「こんな体裁の本出来ますので」と、見本まで持参だ。私達は、今年の夏に行った仕事の一覧をまとめ、「全然進められなかったんですぅ〜」と、泣き落としにかかる。その様子を見てか、年内発行はあきらめてくれた。

しかし、その後の雑談の中で、11月中に原稿を上げ、ソフト一式は12月までには出来ますよという言質を取られる。不覚っ。平行して進める予定の秘密プロジェクトとタイムテーブルは重なる。室長からは、「今度は誰か倒れそうですね」との一言がポロリと漏れる。

でもまぁまだ時間があるし…と、このときまでは少しのんきに構えていた。

秋 11月某日

原稿は白紙のまま11月は過ぎる。海外出張があることを理由に、帰国後すぐに原稿を出すことを宣言。しかし、仕事がたまり過ぎていて、出張そのものがドタキャン。飛行機内で書き、帰国後出すという予定はもろくも崩れ去る。

それと平行して作業を進めるはずのソフトに関しても、まだ全体的な構成のみ決まっているだけで、具体的にどのシーケンスや音声を盛り込むかは詰めていない。本当に大丈夫だろうか。

1998年 冬 12月某日

12月もどんどん過ぎる。電話から聞こえる倉田氏の督促の声も、次第に不安げになる。
足立は今年も大晦日&新年を会社で迎えることになる。

1999年 冬 1月某日

正月に働いた足立とは対照的に、山田はホテルオークラで贅沢三昧の年末年始を過ごしてしまった。当然ながら、冬休み最後の日、原稿の仕上げに苦しむ。子供が宿題に苦しんでいる横で一緒に頑張る。最後に残った子供の宿題は、標語作り。その指導をしながら原稿を書いたもので、気がついたら自分の原稿にも標語が入っていた。

講談社科学図書出版部で突然電子化が進む。連絡は電子メールが主体になり、FTPでのファイルのやりとり方法も教えた。最近では、ファイル添付メールまで要求してくるようになった。

こんな事態になると、「今送りました。でも、こちらは郵便事情が悪いので、届くまでに2,3日かかるかもしれません」という電話をしてから必死に書くという、蕎麦屋の出前的な従来のテクが使えない。知恵を付けたことを後悔。情報の流れを円滑にするのも善し悪しだ。

とにかく本文はなんとか脱稿。次はCD-ROM。

冬 1月某日

その頃足立は年末年始の休み無し。そんなある日、急に寒気を感じて帰宅すると熱は40度近い。医者の話ではインフルエンザではないそうだが、それから5日間寝込んだり点滴を打ったりなどの日々。貴重な時間が奪われる。新年早々暗雲が垂れ込めるのを感じた。

熱は下がったのだが調子が悪い。ゆっくり養生しろと言われたが、そうも言っていられない。再び調子が悪くなり、医者に行くと腎結石とのこと。ビールでも飲んで流してくださいと言われ、病院を出てしばらく歩くと、七転八倒の痛み。意識が朦朧とするも何とか帰宅。痛み止めを飲んで寝る。翌日からは石が出たのか調子が良い。遅れを取り戻そうとラストスパート。あと2週間も無い。大丈夫か!?

冬 1月31日

山田組総勢6名、倉田氏と共に二晩貫徹。テスト、修正、校正を平行して進める。締め切り当日になっても音声ファイルの入れ替えや、仕様変更が続く。大丈夫だろうか…。 途中から全員ナチュラルハイ。深夜に社内でサックスが鳴り響く。

冬 2月1日

午前6時。何とか倉田氏の校正チェックOKが出る。これで完成。CD-Rを焼いて渡す。倉田氏はその足で東京に戻る予定だったが、タクシーの予約が一杯で出来ず、バスで最寄り駅まで行くことに。

それにしても編集者はタフ…。

何はともあれこれで校了!!。しかし、あとWebが残っている。手放しでは喜べない。

1999年 2月

Webの作業が本格化。間に合うか!?