書籍情報[出版裏話]

ブルーバックス「英語リスニング科学的上達法」

■1998年3月20日発売
■講談社 定価1,680円〈税込)

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ブルーバックス「英語リスニング科学的上達法」

1997年 春 某月某日

講談社科学図書編集部、倉田編集者をATRで見かける。「音の小辞典」関係かなぁと思っていたが、英会話の上達法に関してブルーバックスから本を出すらしいとの話が流れてくる。
背筋に冷たいものを感じる。

山田と足立が社長室に呼ばれた。

話は既に具体的に動きつつあるようだ。関わったらエライことになる感じがひしひしとする。関わるにしても、あまり深くは関わらないようにしよう。くわばらくわばら。

社長:

ATRは資料やプログラムの提供等、全面的に協力しますと、倉田さんに言っておいたから。

私達:

わっかりました(…と言うしかない)

 

出版予定は1998年3月らしい。1年後ということもあり、あまり 現実感は無い。このときはまだ、人ごとのような感じがしていた。

1997年 夏 某月某日

本文執筆者の文部省メディア教育開発センター、山田恒夫先生が倉田氏とともにATRに足しげく打ち合わせに来るようになる。

本の構想等を聞きつつ雑談に近い話をする。「こんなこと出来たら良いですね」のような話に、ついつい口を滑らせて「出来ますよ」と、自らの首を絞めることを連発してしまう。気がついたら、逆にこ ちらから内容に関して提案をしている状況に唖然とする。さすがにに百戦錬磨の編集者は、話の持って行き方や引き出し方がうまい。
にこやかな表情の奥に隠された倉田氏の瞳が、話が進むに従って輝きを増すのが分かる。

打ち合わせの結果、8cmサイズのCDを付録にした本として刊行することになった。ATR側からは主に、資料の提供とCDに収めるプログラムの提供をすることに決まる。

CDには、MacでもWindowsでも使えるようにということで、資料的なものをHTMLドキュメントと音声データを載せる形でまとめようかという話になる。これなら現在手持ちのものを再構成するだけなので、短期間でも 何とかなるだろうと少し安堵する。

夏 某月某日

話は急転直下。折角だから、インターネットに接続できる人はオンラインでATRに接続し、訓練出来るようにしようかという話が出る。実 際にそういうシステムを構築してみて検証したが、現実的なスピードで出来ないことが分かり、ちょっとほっとする。こんなん運営したら、ユーザーサポートやメンテナンスに忙殺されかねない。

夏 某月某日

さらに話は急転直下。オンラインで訓練出来ないのであれば、ローカルで完結して動くようにしようということになる。当初はHTMLベースで と、いうことであったので、JAVAベースで作ることを検討した。しかし、音声の品質が低くなるので断念。結局、Mac版とWindows版プログラムをハイブリットCDとして提供することに話は落ち着く。

まだあまり具体的作業をせずにずるずると過ぎる日々。

夏 某月某日

マルチメディア教材ということで、動画を沢山盛り込むことにする。簡単な試算をしたところ、8cmCDの容量(120MB程)ではちょっと苦しい かもということになり、この時点でMac版を盛り込むことはやめになった。ユーザー数を考えての二者択一での決定だ。

Macユーザの倉田氏は残念そうに肩を落とす。

タイムテーブル上では、11月中にプログラムは完成する予定になっている。そして12月には社内外の何人かにテストを協力してもらい、年明け早々には最終版を出す予定になっていた。まだ具体的な作業は全くして おらず、日々の業務に忙殺される日々。楽天的に考えることにする。

1997年 秋 某月某日

夏には頻繁にあった、山田恒夫先生、倉田氏が直接やってきて...という機会は少なくなった。そのせいもあって、切迫感はさらに希薄になり、 自分の中での優先順位は限りなく落ちていくのを感じた。
日々の業務に追われている毎日であったのだが、倉田氏から年内には完成させて欲しい旨、遠回しに催促される。きっと倉田氏もそれとなく状況を察したのであろう。言葉巧みに何とかかわす。

秋 某月某日

収録するプログラムにミスがあった場合を考え、奥の手として修正版をWebからdownload出来るようにしましょうということを話す。が、つい 口が滑ってしまい、公開実験という形での展開まで言及してしまう。作業が当初予定よりも増えてしまう。困った。でもきっと何とかなるだろうと楽観的に考えることにする。結果的に少しでも良いもの が出来れば、充実感も違ってくるし。

収録プログラムにプロテクトをかけることが決まったのもこのとき。大日本印刷の方と、そのやり方について話をする。あまり凝ったことをすると環境によって動かなくなる可能性があるので、あまり変なことは しないことにした。

また、CDから直接起動する形式にしたのもこのとき。読者層が広いことを考えると、この方が問題が少ないと思われたからだ。

1997年 冬 某月某日

11月を過ぎようとする辺りから急に不安になりはじめる。原稿の遅れもあり、当初のタイムテーブルも大幅に変更となる。倉田氏からは、1月 の中旬にCDの最終版が印刷所に持ち込まれないと、発売予定日までに出版できなくなる旨、遠回しの最後通告が来る。

冬 某月某日

具体的作業開始。社内で使用しているソフトをそのまま収める訳には行かないので、かなりの部分で、書き直しが必要だ。

冬 某月某日

大晦日を会社で迎える

冬 某月某日

守衛さんと新年の御挨拶

1998年 1月 某日

原稿の方は大詰めに入る。当初の予定よりも遅れがちであるが、一同の強力な火事場の釈迦力&瞬間最大風速により、何とか乗り越えられそう な目処が付く。

プログラムの方も、何とか形として見えるようになり、社内の一部の人にモニタしてもらう。その結果、膨大な数の修正が必要な箇所が見つかり、呆然とする。カレンダーを見てさらに焦る。

1月 某日

スペクトログラム、フォルマントトラッキングに於いて、理想的な表示が出てくれない。これ自身も1つの研究テーマとなるくらいに奥深いも のであるが、何しろ今回は時間もない。社長が心配して激励に来られる。平行して、社内の何人かに引き続きテストを行ってもらう。

1月 某日

力技で何とか乗り切る。気分的に余裕が出来たため、CD-ROMを音楽CDプレイヤーに入れた際に、CD-ROMドライブにかける旨、音声のアナ ウンスが流れるようにする。声優は、米国でバンドを組んでいてCDまで出している、歌って踊れる研究者のJohnと、山田玲子である。トラックを分け、英語と日本語の両方のアナウンスが流れるという凝りようだ。
そういえば、CD付き書籍において、次のようなやりとりが以前読者との間であったらしい。

読者:

本を買ったのだけど、付録のCDの使い方がよく分からないのですが...

編集:

それはパソコン用ですので、パソコンがないと使えません。

読者:

分っかりました。これから秋葉原に買いに行きます。
(後日)

読者:

パソコンに入れても動きません。

編集:

どのような環境で使われていますか?

読者:

Macintoshの...

編集:

CDに入っているのは、Windows用のプログラムなのですが...

読者:

...

編集:

...


万全の体制ということは出来ないけれど、出来るだけ初心者の人が使う際にトラブルが起きにくいようにすることは大変重要である。
ソフトとデータ一式をCD-Rに焼いて講談社に郵送。原稿も校了間近。一同安堵

1月 某日

安心したのもつかのま、NECのPC-98およびWindowsNTでのみ発生する障害が報告される。修正。再び修正版を郵送。

1月 某日

CDプレイヤーに入れた際に流れるアナウンスが悪さをし、NECのCanbeでのみ発生する障害が報告される。NECが独自にインストールしている プログラムが悪さをするらしい。サービスセンターもお手上げ状態のようだ。泣く泣く削る。

動作環境を特定出来ないプログラムは、この手の問題が非常に出やすい。ホントに一般向けに市販して大丈夫だろうか...と、心配になる。

1月 某日

ソフトの立ち上げ画面に表示される説明文が徹底的に校正され、修正されまくる。倉田氏はその道のプロであることもあり、その校正に情け容 赦はない。漢字の誤変換や句読点(「,」「、」)、本文との漢字の整合性等が修正されまくる。その他、細かな修正もいくつか行うことになる。

1月 某日

五月雨式の修正依頼のため、ほぼ毎日のように修正版を郵送する。しかし、どうしても郵送だと1日分タイムラグが発生する。痺れを切らした 倉田氏が自らATRに乗り込んでくる。「印刷所と掛け合い、明後日に持っていけばOKになりましたから」とのことで、監視付きの作業体制。俗に言う「監視付きの缶詰」になる。

ふらっとコンビニにタバコを買いに出たつもりが、気が付いたら青森にいた人の心境が分かる。

1月 某日

再び倉田氏登場。再び締め切りが少し延び、缶詰状態。
CDを持ってその日のうちに東京に帰ろうとするが、新幹線の最終を乗り過ごし、京都泊にったそうだ。うちらもシンドイが、編集者も体力勝負であるのだなぁと感じる。「これ以外にも3つほど平行し て担当しているんですよぉ」の倉田氏の一言に一同唖然。

1月 某日

再び倉田氏登場。再び締め切りが少し延び、缶詰が続く。

1998年 2月 某日

再び倉田氏登場。ほんとにほんとの印刷所からのデッドラインが告げられ、缶詰。泣いても笑ってもこれが最後。修正が必要な箇所は限ら れていたので、何とか倉田氏が乗る予定の新幹線に間に合う時間に最終版を渡すことが出来た。
渡し終えた後、燃え尽きて真っ白な状態。しかし、公開実験を行うためのWeb環境を整えなければならない。あぁ、先日口を滑らせなければこれで終わっていたのだが...と、いう考えも一瞬頭をよぎる。いや、 それ以前に、ここ2ヶ月程出来なかった本業の遅れを取り戻さなければ。

1998年 3月 某日

公開実験サーバに関して焦り始める。書籍の発売日は3/20に決定との連絡を受け、サーバ側プログラムを1週間前にようやく作り始める。 間に合うのか!?と、少し心配するが、何とかなるだろうと楽観的に作業を進めることにする。

3月 某日

WEBを使った公開実験に関し、倉田氏は読者特典という位置づけでの対象者限定公開実験を考えていたようだ。こちらとしては、対象者を 限定しない形での公開実験を考えていた。当然テスト用のプログラムは書籍を購入しなくても入手可能にする予定だった。

倉田氏の「ちょっと考えさせてください」は数日間にわたったが、最終的には対象者非限定での公開実験にOKが出る。しかし、複雑な心境のようだ

3月 19日

発売日前日。今日Webサーバが上がらなければ、ひじょ〜にまずいことになる。そしてWebサーバマシンにする予定であったマシンが、急に使えな くなった旨連絡を受ける。社内の大捜索を行い、実験用に使用していた旧式PCを発見。これを転用し、PCUNIX(Linux)を入れる。発売日の前日夕方から始めるっていうの はまさに泥縄だが仕方がない。ファイアウォール側の設定も急遽してもらう。

3月 20日朝

早朝、ようやくきちんと動くことを確認。カップヌードルをすすりながら朝焼けを眺める。心地よい疲れと充足感に満たされる。

しかし、講談社は初版2万部も刷ってしまいおった。ほんまに大丈夫なんか?公開実験で閑古鳥が鳴いたらどないしよう?等の不安が駆け巡るが、悩んでも仕方がないので仮眠することにする。

3月 20日昼

社内の人に本を配ったのだが、そのうちの一人から、「CDを入れるとマシンが落ちる。不良品や!!」との怒りの内線電話を受ける。気が 動転しつつも駆けつけると、なんとCDの記録面にはベッタリと糊が貼り付いている。CDを封入するシールの糊が貼り付いていたのだ。
ティッシュで拭き取ると何事もなく動き出す。ほっと一安心。

1998年 4月

先延ばしにしていた同定、弁別テストのページも正式オープン。公開実験参加者も順調に伸びている。
新聞にとりあげられ、さらに参加者が延びる。
深刻なトラブルもなく、一同安堵。舞い込むのは喜ばしい情報が殆どだ。

1998年  春

ユーザーサポート用のMailAddressに沢山の質問や意見が舞い込む。倉田氏の所にも電話がじゃんじゃん鳴っているようだ。

CDに糊が付着する問題はかなり広範囲で発生していたようだ。一部のメーカー製IBMPC/AT互換機では互換性の問題がかなりある。

本の売れ行きも上々らしく、あっという間に第3刷。
苦労した甲斐が報われた気がする。